アメリカ版彼岸島?『The Last of Us Part 2』感想・レビュー

『でも・・・許したいとは思ってる』

★クリアレビューです★

※冒頭からネタバレレビューとなります※

期待とは違うが、美味しい

ある程度遊んでみた段階での評価は「行列のできるラーメン店に並んでまで食べた新メニューがペペロンチーノだった」みたいな感じだった。

前作のラストですれ違ってしまったジョエルとエリーの関係をしっかりと煮詰めていく展開かと思いきや、初期段階で一方的に終了する。
つまり”二人の物語”を求めて行列に並んだ結果、全く違うメニューが出てきたような衝撃だったのだ。
もちろん美味しいのだが、そもそも食べたかったものではなかった。

そこで思うのは前作『The Last of Us』でのジョエルは「救われた」のだろうかということ。
ジョエルが救われたのであれば、エリーとジョエルが幸せな日々を過ごしてほしかった。
それが無理でも「前作が無駄だった」とプレイヤーに思わせない程度にジョエルが報われても良かったはずだ。

しかしジョエルは前作ラストの展開によってエリーとの間には溝が生じ、そして解決できないままに退場する。
ジョエルが聖人だとは思っていないし、むしろ悪人の範疇だとは思うがそれでも生きてさえいればエリーとの関係も変化できたかもしれない。
犯してしまった罪を贖う機会だって得られたかもしれない。
しかし死んでしまってはあとは生き残ったものに都合よく解釈されるだけだ。

たしかにジョエルの退場は物語としては最強だ。それは良い意味でも悪い意味でもゲームを一変させるジョーカーになりうる。
プレイヤーにとっても前作で幸せを願う一心で操作していたジョエルが殺されれば、それは誰でも心が揺さぶられるだろう。
しかしこれは少々安易過ぎると感じた。もっと言ってしまえば演出が安っぽく感じた。
それはジョエルが殺されたからではない。
ジョエルを殺すという最高の素材を活かすだけの演出もストーリーもバックボーンも全部足りないのだ。

導入について~アビーと仲間たちの存在の希薄さ~

The Last of Us® Part II_20200620152431

たとえば、いっそのこともうひとりの主人公であるアビーを操作するパートを前半に大胆に挿入してほしかった。
仲間たちと厳しい冬を超えて「ある目的地」へと旅をする。
彼らが誰なのかは最初はまったくわからない。
それでも生き抜こうと必死でもがく彼らをプレイヤーは救いたいと感じるだろう。

旅の道中は楽しくも辛く、暗い過去を抱えていそうなメンバーたちの核心的な部分はわからないがそれでも「ひとつの目的」を達成するために和気藹々と旅をする。
プレイヤーはアビーに感情移入し、メンバーそれぞれの人物描写もされる。

そしてついにアビーは目的地へと到着する。
目の前にはジョエルがいて、助けてもらいなんとか窮地を脱する。
ここからジョエルたちを交えて物語が動き始めるとプレイヤーに期待させるが……。

アビーがショットガンを構える……、プレイヤーは必死にアビーの動きをコントロールしようとするが通じない。
そう、アビーの目的とは彼に最大限の苦痛を与えて殺すことだったのだ。
これまで感情移入してきたプレイヤーは知らず識らずのうちにジョエルを殺す手助けをしてしまう。
自らの手で前作の主人公を殺し、『The Last of Us』の幕を自ら降ろしてしまうプレイヤー。
アビーはすべてをやり遂げ、エリーにバトンが渡る。

ジョエルを殺すというカードを切るのであれば、いっそここまでやっても良かったのではないかと感じた。
アビーを一瞬だけ序盤に操作させるよりも効果的だったのではないだろうか。
もちろんあの名作を生み出し続けるNaughty Dogが決めたのだから、素人の戯言に過ぎない。

しかし序盤のエリーの「ターゲットリスト」の連中の「誰だこいつ?いたっけこんなやつ?」という状態は防げそうだ。
殺すときの罪悪感もより感じることができるし、プレイヤーはある意味ではアビーの共犯なのだから贖罪の旅という感覚もある。

もしくは数日間、ジョエルと一緒に行動して復讐するかしないかの葛藤を描くようなシナリオも良かったかもしれない。
アビーがいくら複雑な事情を抱えていようとも、人間味のあるストーリーが展開できたはずだ。
アビーが助けられてからのゴルフクラブスマッシュまでの時間が短いのが違和感の原因なのではないだろうか。

※追記
IGN様に掲載されていたニール・ドラックマン氏のインタビュー記事でアビー編がもっと序盤に長く追加される予定だったことがわかった。
これは私が想定していたものとは違いジャクソンを舞台にアビーが加入→裏切りまでを描く予定だったが、シナリオが冗長になってしまうことを懸念し中止したとのこと。

httpss://www.ign.com/articles/the-last-of-us-part-2-was-once-more-open-world-how-abbys-role-changed?utm_source=intl

httpss://jp.ign.com/the-last-of-us-2-ps4/44882/news/the-last-of-us-part-ii

前作のちょっとした疑問を払拭してはいる

前作『The Last of Us』で抱いたいくつかの違和感は解消されている点にも注目したい。
例えばジョエルがストーリー上で「必ず殺さなくてはならない存在」についてだ。

ジョエルの殺人の99%がプレイヤーの手によるものだとしても、一部はストーリー上避けることができないものだった。
特に「医師」と「マーリーン」の二人の死は敢えてプレイヤーに突きつけられたものだ。
まあマーリーンを殺した理由が「追ってくるだろ」だったのにキッチリ追われてるのでなんだかかわいそうだが、医師は殺さなくても良かったはず。
どの段階から続編が計画されていたかは不明だが、あそこでの医師の殺害は「自らの手で何を犠牲にしてもエリーを取り戻す」という意思表示であり、「父と娘」という復讐の連鎖の2段階目だったのだ。(1段階目はエリーを犠牲にしようとした未遂だったが)

(余談だがApollo 11のカウントダウンは最高の演出だった。大好きな打ち上げのひとつ)

その手は血に塗れている

ストーリーの褒めるべき点はまだたくさんある。
例えばそう、犬だ。
『The Last of Us2』をプレイしていると犬の存在は非常に厄介だ。
初めて対峙したとき、個人的には動物博愛主義者なので人間を倒すよりも非常に大きなストレスを感じたが、ストーリーが進むにつれて効率的に始末することができるようになってしまった。
犬の対処に慣れた頃にアビー編が始まり、犬たちがどのように暮らしているかを知ることになる。
ボール投げをせがんできたり、撫でたりできるのだ。
ここで一気にエリー編で積み上げてきた犬の死に対する深い深い罪悪感が芽生える。

つまりエリー編とは『The Last of Us 1.5』であり、アビー編で一旦答え合わせが行われるという趣向なのだ。
発売前のレビューなどから推察できた点ではあるが、実際に目にするとなかなか得難い苦痛だろう。
エリーとして何も理解せぬまま耳をふさぎ復讐に身を委ねる快感を知ったプレイヤーにとっては改めて自分の歩んできた道程を振り返らざるを得ない。

アビー編のスタートは基本的に罪悪感を抱かせるためのものだ。
WLFという血に塗れた極悪非道な組織が、その実生き残った人々で助け合いながら生活していること。
将来のために勉強する子どもたちや、まだ幼い園児たちは託児所のようなところで手厚く保護されている。
古びたジムを大事にしながら体を鍛える大人たちや、野菜を栽培する人たち、洗濯物をする人たち。
これまで障害物でしかなかったWLFの面々がこれほど人間らしく穏やかな生活を送っているとは思いもしなかっただろう。
非常に秀逸なストーリーテリングだ。

だが、ジャクソンに目を向けてみれば”スカー狩り”なんてしなくとも平和に暮らしているわけで、犬たちも戦闘に用いるわけであるからその死の責任はむしろWLF側のほうが重いだろう。
つまりWLFが聖人たちの集いかと言われれば断じてNOではあるのだが、それが逆に集団としてのリアリティを増すスパイスとなっている。

こうして敵側の内情をしっかり描く作品は珍しい。
今思い返してみればあの作品の悪役も実は色々あったんじゃないかなどと考えさせられてしまうわけで、そういった意味で本作はプレイヤーの過去のゲーム体験すらも反芻させるような内容となっている。

反面、復讐モノで結局「どっちも正しく、どっちも間違っている」というパターンは創作の世界では往々にしてよくある展開でもある。
また「ゾンビ」そっちのけで生き残った人間同士が間抜けにも復讐の連鎖に落ちるパターンなどすでに『The Walking Dead』などで幾度となく描かれてきた歴史もあり若干食傷気味だ。

もはやちょっとしたスパイスでしかないゾンビ

そう、ゾンビの存在を本作は軽視しすぎているように感じた。
ゾンビとはそれ単体で勝負できるほどのパンチ力を持つにも関わらず、近年ではゾンビを噛ませ犬のような役目に貶める作品が多すぎるのだ。
さながら昭和の頃は看板メニューだったタンメンが今やそれ単体では勝負できなくなっている現状に近い。

ゾンビはあくまで舞台装置となり、ドラクエで言うところのスライム。つまり時間稼ぎと世界観のためのザコエネミー程度の価値しか持たされていない。
ゾンビによって崩壊した文明の生き残りが、ゾンビそっちのけで恋愛したり喧嘩したり復讐したりギスギスしているのを見せられるのはもう うんざりだ。
数少ない生き残りが間抜けにも殺し合いをしてくれているのだから、ゾンビからしたら「ポップコーンは持ったぜ」という感じだろう。

そういった意味でも前作のゾンビの描かれ方はかなり恐ろしさを感じたし、実際にゾンビによって崩壊したコミュニティや街などの描写はリアリティがあった。
しかし今作でのゾンビはシアトルを牛耳って派手な射撃音と車移動している頭のおかしい集団をそこらじゅうで見かけるのに全然駆逐できていない。
確かに彼らは強力な武器で武装しているが、装備云々であの程度の武装組織がなんとかなるならアメリカ軍がゾンビに勝利していた可能性だってありそうなものだ。
そのくせプレイヤーのピンチには確実に登場する都合のいい存在だ。

新ゾンビも登場したが、本作の豊富な弾薬とステルスで対処できてしまう程度の存在であった。
唯一歯応えがあって記憶に残っているのは病院地下の大型ゾンビ・ラッドキングぐらいだろうか。
それでもステルスで溜め込んだ弾薬を大盤振る舞いすればそう大変でもなかった。

作中でもゾンビたちはほぼ一方的にボッコボコにされており、生き残った人たちも不用意に閉鎖空間へ侵入するなどあまりにもその脅威を軽視しているように感じられた。
彼らが活躍できるのはカットシーンか残されたメモの中のみであり、それも誰かが助けてくれたり次のルートを開くための導入に過ぎず、あまりにも都合の良い存在となっている。
ゾンビのぞんざいな扱いに、ゾンビ人権向上を訴えて都知事選に出馬する構えも辞さないといった気分だ。

ふたつの勢力のリアリティの無さ

本作にはシアトルに巣食う2つの勢力が登場する。
WLF(ワシントン解放戦線)とスカー(セラファイト)だ。
発売前の彼らの印象は、前者は軍用犬を連れた武装組織、後者は弓を扱う暗殺者。
これは恐ろしい強大な敵だろうな……!

しかし発売してみればなんてことはない。
いたずらに構成員を犠牲にしまくる現場指揮官のいない間抜けなWLF。
口笛だけで会話するのかと思いきや普通に喋るし、弓矢よりなんなら銃めっちゃ使うスカー。

正直、かなり期待していたにもかかわらずこの2つの勢力が「一体何のために戦っているのか」は序盤からまったくわからない。
途中のメモなどからわかるように、仲間を募集したりしているはずなのだが見かけると即攻撃してくるので、こんなバカどもほっとけば数年で死滅するんじゃないかと不安になる。

唯一スリルを与えてくれるのはWLFの犬だが、それもある程度対処がわかってくればどうとでもなる。
WLFはまともな現場指揮官が存在しない武装勢力のため、増援として送られても組織的な動きができないので今まで一体どうやって生き残ってきたのか疑問だ。
プレイヤーの多くは序盤のテレビ局においてWLFの増援が到着したという無線を聞いたときはそれなりに焦ったのではないだろうか?
しかしお互いをカバーする動きなどせずウロウロしている間抜けたちの死体を積み上げるのにそう時間はかからなかっただろう。

セラファイトの面々は物語の中盤頃まであまり姿を見せないのでかなり期待していたのだが、普通に銃を撃ち仲間の死で声を出してしまうという情けない組織だった。
いわゆる狂信者とか怪しい宗教といった恐ろしい感じはなく、こちらは淡々と弓矢で頭を撃ち抜いていけばいい。
犬も連れていないし、せっかく背景に溶け込みそうな服装なのにコンクリートを背にしていたりするのですぐに判別できてしまう。脅威度的にWLFの下位互換だ。
もっと無音で接近したり、木の上に登っていたりといった独特の戦闘動作があっても良かったのではないだろうか?
”無音”にこだわって、投げナイフや投槍といった前時代的な装備を熟練度で補うような組織であれば恐ろしい存在になったかもしれない。

せっかくふたつの勢力が存在するのに必死で物資を取り合うだとか、ブロックごとに勢力が違い一進一退の戦いを繰り広げているとかの描写も頻繁に描かれないため、武器を持ったゴロツキがただ徘徊しているだけだ。
気づかなかっただけで実はもう感染していて、自分たちはまともだと思いながらウロウロしていたゾンビのなりかけという設定だったのかもしれない。

そうでないとあんなマヌケどもがゾンビのはびこる世界で生き残れるわけがないだろう。

アビーというアンバランスで歪な存在

新主人公のアビーに関しても不自然な点はある。
アビーは筋肉質な女性だが、まるでステロイドで筋肉を増強したかのような天賦の肉体を持つ。
その割に精神面は非常に幼く、少々怒りっぽいヒステリックな一面すらある。
ゾンビを握り潰せそうなマッチョが初老のジョエルの膝をショットガンで撃って抵抗できなくしてから、ゴルフクラブで拷問する様はどこかチグハグだ。
いっそアイアンクローでジョエルの頭を握りつぶすぐらいやってもよかったかもしれない。
その場合アビーはゾンビウィルスに無症状感染して進化したゾンビパワーウーマンということにしよう。

そもそもアビーの存在はジョエルがエリーと出会う前に行ってきた悪行によって産み出された悲しき復讐者なのだと思っていた。
武器やドラッグの取引の中で、非道な殺人に手を染めていてもおかしくない。
しかし実際は人類のためとはいえ少女を殺そうとした医師の娘というだけの存在だった。

自分がアビーの立場でも復讐しようとするだろうが拷問なんてする必要は感じないし、どこかでふと「そういや父もエリーを殺そうとしてたんだよなあ」と気付いて足が止まってしまいそうだ。
あそこまで愚直に自分の正しさを疑わないのは一種の才能だろう。

庇護下にあったエリーと違い、荒波に揉まれて育った「強い女性」という雰囲気のあるアビーだが、どこか頼りなく人間的にもあまり魅力的に感じない。
彼女の唯一良い点は「庇護されない女性」という点だ。
強くたくましい彼女は一人で生きていけるだけ(肉体的な面限定)の強さを持つ。
これまでのゲームで描かれてきたステレオタイプな女性像ではなく、誰かに守ってもらわずとも生きていける女性を描いたのだろう。
多様性が尊重される現代でこの描写は非常に評価している。快挙とも言えるかもしれない。

しかしそんな彼女も結局はワシントン解放戦線(WLF)のメンバーとして集団に属し庇護され、愚かな殺し合いに従事している。
大事な人を殺される辛さを一番良く知ってる彼女が、スカーと呼ばれる敵対組織の人間を殺すことに好意的な反応を示すのだ。

水族館での回想シーンでは生き残った幼い子供が成長してスカーに属した事がわかると「会ってみたい」というオーウェンの発言に対して拒絶するかのような姿勢を見せる。なんなら「もう会ってるかも」(つまり殺してるかも)という趣旨の発言をしている。
そもそもマーリーンと父親の会話を聞いている以上、立場が逆だったらどうなっていたかを想像しないわけがないのだ。
NARUTOの「逆だったかもしれねぇ…」ではないが、もしジョエルが幼いアビーを殺そうとしたときに、アビーの父親はそれを許容しただろうか?
そもそも人類のためとはいえエリーの命を奪うことは許容したくせに、父親の命が奪われたら憤慨してネチネチと後を追って復讐をやり遂げるという人間性に疑問を抱かずには居れない。

結局は彼女も自分勝手な人間であり、チープな人殺しなのだ。
であれば復讐することは仕方がないとしても、やり返されることは覚悟しなければならない。
なんならスカーにやり返されていた可能性だって十二分にある。
ステレオタイプな女性像を描く必要はないが、これだけ論理的に破綻している自己中心的なキャラクターを描く必要もなかったように感じる。
清濁併せ呑む『The Last of Us』のスタイルに近いようで、確信的に拷問という手段をとった彼女は実はかなり遠い存在のようだ。

(肉体的に)強い女性だと書いたが本シリーズには精神的な強さを持つ女性が多数登場する。
1のテスは登場シーンこそ短いが、あれだけ印象に残ったかっこいい人物はいなかった。
マーリーンも同様で、最後に非情な決断こそしていたが人間的に素晴らしい人物だったということが2でも描かれている。
本作から登場したディーナも強かで一緒にいて楽しく包容力のある素敵な人物だ。
女性に限らないならジェシーだって素敵なキャラクターだった。

こうして並べてみるとアビーがそれほどキャラクターとして魅力的じゃないことは本作をプレイした人には理解いただけるのではないだろうか。
ジョエルという人間味のあるどこか憎めない最重要人物を犠牲にしてまで描かれるべき存在だったかは甚だ疑問だ。
物語の構造上憎まれ役として存在するから仕方ないという見方もできるが、エリーとの対比で主人公の一人であるならばもっと人間的な魅力があっても良かったはずだ。
もしくはエリーとの対比で冷徹な血も涙もない復讐マシーンでも良かった。どうせ深堀りしない個性ならそもそも無くてもいいだろう。

さらに不自然だったのは水族館での出来事だろう。
エリーによって殺されたオーウェンとメルの前で嗚咽するアビー。
しかしその少し前に実の姉であるヤーラを失ったレブを命がかかっていたとはいえ悲しませずに逃げることを促していた。
にもかかわらず自分は悲しみまくって嘔吐して復讐しようと劇場まで行くのだ。
だったらレブにもWLFへ復讐させてあげるべきだった……というのはさすがに意地が悪すぎるかもしれないが、自己中心的というか脚本だからというべきか違和感はある。
ついさっき姉を失ったレブをさらに命がけの復讐に付き合わせているのだから鬼畜と言う他ない。
このゲームの主人公はジョエルをはじめ自己中心的だとはいえ、ここまで悪辣なのは驚嘆の一言だ。

個人的には服装にも文句をつけたい。
アビー編のシアトル1日目からタンクトップという出で立ちで登場する彼女は、一見すると確かに「強さ」や「健康的」といったキャラクター付けに貢献していると思うが、免疫もないのにあれだけ肌を露出しているのは疑問だ。
本作は様々な点でリアリティを大事にしていると感じるが、周囲がリアルな分だけ大きな異物として目に入ってくる。
屈強な女性=タンクトップという安易なシンボル化はどことなくポリティカル・コレクトネスに理解がありそうな制作陣らしくない迂闊な選択だったのではないだろうか。
男性的に描きたいならもっと実用性のある様々な選択肢があったはずだ。

感染者のうろつく瓦礫だらけの街に出かけるときにタンクトップの間抜けに誰か注意する人はいなかったのか?
いくら登場人物がほぼ全員マヌケでも一人ぐらい「タンクトップは危ないですよ」と言ってあげるべきだったんじゃないか?

ゾンビ以前に崩壊した建物の瓦礫やとび出た鉄筋、ガラス片などから破傷風や不要な怪我を負うリスクすら考えることができないのは立派な頭にまで筋肉が詰まっているからか?
まあ妊婦なのに戦場に出ていくもっとイカれたやつがいたのであんまり気にならなかったのかもしれない。
本当に全員頭おかしい。

これも先述のゾンビ軽視からくるものだろうが、ここまでくるともはやゾンビなんていなくていいのではないだろうか。
間抜けな人間の争いに巻き込まれているのはむしろゾンビのほうかもしれない。

モブに名前があるから罪悪感を感じるのか?

アビーが父親を殺された復讐でわざわざジョエルの居場所を探して殺しに来るというのはこの世界では異質なことなのだろうか?
もしポピュラーなのであれば、道中で殺したモブの肉親が大挙して復讐に来るべきだ。
アビーが殺すまでもなくジョエルとエリーへの復讐待ちの列はジャクソンからソルトレイクシティまで続いているだろう。
それほどモブは大量に殺されていく。

本作ではモブにもちゃんと名前があり、同僚との関係性などがあるとされている。
そのため殺害すると同僚が名前を叫びながら探したりする。
こういった細かいディティールにこだわったことで罪悪感を感じてしまうように設計されてるようだ。

しかしそもそもその手のシステムは『Middle-earth™: Shadow of War™』で敵のゴブリンが一兵卒からユニーク化したり、名前があって何度も襲ってきたりするシステムが存在している。

本作の場合、確かに名前のあるモブが死ぬわけだが手慣れてくると名前なんて呼ばせないうちに鏖殺できてしまうし、その場限りで死んだ敵の名前に罪悪感なんてそれほど感じない。
いっそステルスキルの1段階目の羽交い締め時に必死に命乞いしてくるぐらいはしてほしかった。
死体漁ると家族写真や手紙が出てくるとかでもいい。
悲鳴のパターンも、死ぬときのモーションもそれほどバリエーションがあるように感じない。
弓矢で一方的に殺してしまえば顔なんて見る必要すらないので意味があるものだったのだろうか?

海外版なら欠損表現が凄まじいようなので、もしそれが原因なら日本版はローカライズで駄作化したと言ってもいいかもしれない。
しかし頭が飛ぼうが腕が吹き飛ぼうがゲーム内のモブの死を意味あるものにできるかというと、そうは思えないような気もする。
個人的にはモブより犬のほうが辛かった。
人に危害を加えようとしている有象無象どもと、人の道具として使われる犬とではそもそも命の価値が違うのだ。
本作のテーマのひとつが復讐なのであれば、あのモブたちもやり返される可能性はわかっているはずだ。

また、少し話は逸れるがプレイヤーに罪悪感を植え付けようという試みに対して、選択肢がほぼ無いので実感が湧きづらいというのもあるのではないだろうか。
ストーリーの分岐部分ではキャラクターがプレイヤーの想定しない答えを勝手に出すため、プレイヤーが置いてきぼり状態になっているのだ。
つまりプレイヤーと登場人物の心理状態が大きく乖離しており、最大の理解者であるべきプレイヤーにとってもエリーとアビーの行動には「なんで?」という状態が続く。
これは制作側のストーリーテリングの問題でもあるのだが……。

この罪悪感システムはどこか中途半端な要素だったように感じる。
もっと心が揺さぶられるような演出をしてほしかった。
(私に想像力がないだけかもしれませんね。)

仲間を巻き込みまくって犠牲になるとキレる

本作においてエリーもアビーもお互いの勢力の仲間を犠牲にしている点も気になっている。
復讐なんてそもそも身勝手な願望なのだから、あくまで独力でやるべきだったのではないかと感じた。

アビーに関しては病院の生き残りであれば全員にジョエルへの復讐の気持ちはあったかもしれない。
しかしエリーはディーナを連れてくるべきではなかったし、トミーを巻き込むべきではなかった。ジェシーは勝手についてきてしまったわけだが、ディーナがいなければ来なかったかもしれない。

結局復讐に巻き込まれたWLFやスカーは片っ端から殺されるし、復讐に巻き込まれる形でオーウェンやメルは死んでいく。
そして彼女たちは怒り、また復讐へと向かうのだ。

これじゃあ悪質なマッチポンプもいいところだ。
自分で薪を焚べてるのだから、さながら復讐の暴走機関車は自分の仲間を炉に放り込んで走り続ける。
代理ミュンヒハウゼン症候群のように他者を危険に巻き込んで悲劇のヒロイン面をし続ける二人にはどうしても疑問を感じてしまう。
ディーナの妊娠がわかった時点でジェシーと合流した時に二人にはさっさと帰って欲しかった。

とうぜんひとりで復讐なんて不可能だ。
だからといって仲間の好意に依存して身勝手な復讐に巻き込むのを好意的に捉えることはできない。
「復讐の連鎖」もテーマのひとつなのだろうが、もう少しうまくやれなかったのだろうか?

違和感のあるご都合主義的ストーリー

前作も当然ご都合主義というのは存在した。
しかしそれでも説得力のある展開だった。
ファイアフライを探してさまよい、空振りすることもあった。
大きな怪我をして回り道もした。
その結果、物語のゴールに辿り着いたのだ。

しかし本作ではシナリオに矛盾する場面が散見される。
例えば冒頭のシーン。
アビーがジョエルとトミーにたまたま出会って助けられるわけだが、都合が良いようにも思える。
しかしそこは物語なので仕方がない。
次のシーンではアビーに案内してもらい、アビーの仲間と合流する。
そこでジョエルとトミーは本名を名乗る。

普通の思考ならば武装した集団が自分の拠点近くに気づかないうちに存在したらかなり警戒するはずだ。
そもそもジョエルはファイアフライにとって不倶戴天の敵になっているはずだ。
ちょっと考えれば本名を名乗ることの危険がわからないだろうか?

アビーが妊娠した彼女のいる男性と関係を持ったのも衝撃的だった。
そういうのに筋を通すタイプだと勝手に考えていたが、やりたい放題だ。
崩壊後の世界ではふつうのことなのかもしれないが、一般的に言えばモラルのない行為に見える。

トミーのキャラクターも原因があったとはいえちょっと許容できないレベルだ。
エリーに復讐を焚きつけるシーン、あの場面は本当にがっかりしてしまった。
トミーは隠そうとしてたのに結果的にエリーにアビーの居場所がバレてしまうようなスマートな話の流れにできなかったのだろうか?
トミーの名誉を考えればあまりにもひどい扱いだと感じた。
ジョエルもトミーも舞台装置としてご都合的な役割を演じさせられていた。

人類も救えないし真菌の謎も放置

本作で決定的にダメだったのは前作で描いていたような人類の明るい未来が1ミリも見えないことだ。
エリーというワクチン開発の要を届けることができれば、もしかしたら人類は助かるかもしれないという目的意識が前作には存在した。(真菌にワクチンが効くかはわかりませんが)
だからこそ大変な道のりも負けずに進めたのだ。

しかし本作では前述の通り頭のおかしい集団がバトルロワイヤルをしている中でたいして思い入れのないキャラクターを操作しなくてはならない。
しかも別に集団の未来のためではなく、極めて個人的な理由で行動する何の思い入れのないキャラクターだ。
世界の運命をそっちのけで書き古された復讐劇を描いたのわけだから、別にゾンビ蔓延る世界じゃなくても問題ないのだ。

テーマ上当然ではあるが、復讐に爽快感もなく達成感がない。
何のためにシアトルをグルグル回っているのか、今どこにいるのかすらわからない。
前作のロードムービー的手法がどれほど優れていたか再確認せずにはいられない。

アメリカのどこかでワクチンが完成したという話を聞いたジュエルとトミーは調べに行く、しかしエリーもついてきてしまい3人の旅が始まる……。
個人的にはこんな単純なストーリーで十分だった。

とにかくジョエルがかわいそう問題

本作のジョエルは本当に不憫だ。
とにかくかわいそう。THE・かわいそう。
愛しているエリーは反抗期真っ最中のヒステリー状態で、助けてあげたのにキレられ。
主人公だったのに拷問の末に撲殺。
勝手に復讐始められて大惨事。
もう目も当てられない状態だ。

「エリーがジョエルの呪縛から解き放たれる」というテーマは結構だが、そのためにジョエルに不憫な思いをさせ続ける必要はあっただろうか?
ダンスパーティのときのジョエルの表情を見るのはあまりにも辛い。
前作のエリーは理由はどうあれ命を救われ、そして人生を共に歩んできたジョエルに対してあんな態度を取るほどガキだっただろうか?
同年代の誰よりも命の儚さを知り、誰よりも危険な経験をしてきたエリーが成長してあれほど間抜けになるんならワクチン作っとけばよかったとすら思ってしまう。
まあそもそもワクチンなんてあんな病院とまともな医師がひとりぐらいしかいない状態で作れるとは思えないが。

一番大きな問題はエリーと真実を共有させなかったこと

エンディングでジョエルとエリーの超重要な会話があるが、明らかに前半部分に持ってくるべき演出だったように思える。
エリーがあれほどジョエルに病院での件でキレてたのに、どうして復讐にこだわるのかはエンディングになるまでわかりづらい。
ディーナと思い出話としてシアトル1~2日目ぐらいに、軽く言及してくれても良かったのではないだろうか。
これが後出しされてしまうことでエリーに対する「なんか共感できない」という思いが間違ってなかったことがわかってしまうのだ。

前作では明言せずともぼんやりとそれぞれの思惑が見えるように設計されていた精緻な感情描写が、本作では「ほら!まさかこんな事になってると思わなかったでしょ!?ねえ、びっくり?ねえ?」のようなびっくり箱的演出が存在する。
もちろんすべての要素を詳らかにすることが正しいとは思わないが、ジョエルとエリーの会話は絶対に前提として持ち込むべきだった。
「許したいとは思ってる」というセリフがアビーに対する感情と重なる、そしてアビーにとってのエリーに対する感情とも重なるという演出なのは誰しも理解しているだろうが、冒頭に持ってきてもう一度エンディングで強調することだって出来たはずだ。

総評:海外版彼岸島。みんな、丸太は持ったか?

前作『The Last of Us』に関しては文句の付け所の無い傑作だった。
ロードムービー的展開、魅力的なキャラクター、最高の退廃的ロケーション。
そして鬼神の如きジョエルの自分勝手な暴走と、その結果救われたエリー。
どこか歯切れの悪いエンディングはプレイヤーの歩んできた道の数だけ答えがあるかのようだった。

しかし名作の続編が駄作になるということは往々にしてあることだ。
その点で言えば本作『The Last of Us Part2』は間違いなく名作と言える。
リアルに描写される文明崩壊後のシアトルはあまりにも美しく、時間を忘れて探索に没頭してしまう。
ゲームの快適さ、戦闘の楽しさなども現時点で100点満点以上の出来だと言えるだろう。
しかしストーリーは構造的・描写的な評価こそ高いが、大きな矛盾と違和感を残してしまいチグハグだ。

一人の医師の死から始まった復讐劇にも関わらず、本作では大量殺戮が至るところで行われている。
復讐を行ったアビーもエリーも結局は殺人鬼なのは疑いようがなく、言うなればどっちもどっちだ。
であればプレイヤーは置いてきぼりを食ってしまっても仕方ないだろう。
道中で殺人を犯させることで共犯者として意識させるようなストーリーテリングなのだろうが、どうもピンとこない。
人の命が特価大廉売されている世界で復讐なんてどうしても安っぽく感じてしまう。
エリーの犠牲は許容したのに自分の肉親の死は許さず復讐するというのもおかしな話だ。
結局は人間的な成長ができなかった体は大人、頭脳は子供のお転婆二人が自分勝手に復讐して周りを巻き込むという構造に辟易してしまう。
お前らのせいでどれだけ人が死んだかと思うと復讐(笑)という感じだ。

エリーがジョエルに勝手に救われて恩を押し付けられたと感じるのであれば、そもそも前作でエリーにちゃんと術前同意を取ればよかったのだという超単純な結論を際立たせる結果となっているのも問題だ。

ゾンビが空気化している点も気になる。
マンガ『彼岸島』シリーズの吸血鬼並にあっさりと倒されていく彼らが知能もないのに人類の文明を崩壊させたなど信じられるだろうか。
『彼岸島』では少なくとも人類VS吸血鬼という構図があるが、本作では人間同士の殺し合いが忙しすぎてゾンビが空気になっている点は許容し難い。

『The Last of Us』のデビッドのような存在感のある悪役も登場しない。
ただただ間抜けな生き残りの消化試合を見せられてる感覚だ。
主人公たちは完全にプレイヤーの手を離れ『The Last of Us』のような一体感は感じられない。

ゲームシステム面は文句の付け所がないほどに洗練されている。
あまりにも良すぎて戦闘と探索だけ延々とプレイしたいぐらいだ。
メインストーリーはなく、廃墟の広大なシアトルを好きなだけ探索し、残された痕跡から様々な生存者の末路を知るのも楽しそうだと思ってしまうほどの完成度で、ストーリーをパージしたい気持ちになってしまう。

少し不満だったのはエリーでステルスプレイしているとナイフが無限に使用できるので素材が余りまくって寄り道するのが少し苦痛だったことぐらいだ。
メモがあるかもしれないから寄り道はしなくてはならないが、弾薬も素材もMAXということがよくあった。
反面、アビーは軍事的な組織に属しているのにナイフの一本も持ってないのはゲーム的な制約とはわかっていても苦笑いするしかない。
得意のマッチョですべてを解決してきたんだろう。

ゲームは映画やドラマと違い、購入し実際に自分で動かす必要がある。
そのためプレイヤーはそれらとは比にならないほど操作キャラクターに感情移入するのだ。
だからこそプレイヤーにとって後味が悪かろうとも多少は納得できるエンディングを用意する必要がある。
だからこそマルチエンディング方式が採用されることも多い中で一本道のストーリー展開であれほど魅せてくれた『The Last of Us』に対して、本作は一本道であることが逆に大きな問題点となってしまった。
一本道ということは「選択肢が存在しない」ため、キャラクターの決断すなわちプレイヤーの決断となってしまう。
キャラクターとシンクロしていれば違和感は感じないが、乖離してしまっていればキャラクターの暴走がスタートする。

「操作できる映画」として制作された本作はストーリーに必要な説得力が欠けてしまっていたのではないだろうか。
前作においてジョエルの選択は人類の未来を考えればとても正しいものとは思えなかった。
例えばジョエルの選択を序盤に見ていたら「自己中なおっさん」という評価になっていただろう。
しかしエリーと旅を重ねてきたからこそ、ジョエルの 自己中心的な決断をプレイヤーも自己中心的に支持することができたのだ。
本作においてはその「説得力」が欠けているため、キャラクターの決断をプレイヤーは支持できない場面が多かったように感じた。

最終的な結論として「復讐」というテーマの設定、描き方に失敗してしまった感じはある。
あれだけお互い殺しまくっておきながらいまさら復讐と言われてもやはりピンと来ない。
前作が「世界を救う旅路」というスケールの大きな話だったのに、本作ではシアトルを舞台に人間同士のいざこざがチープに描かれているのだ。
そこには謎の寄生真菌についての深い科学的な解明であるとか、人類の未来のための建設的な議論などといった高尚なテーマは存在しない。
せっかく生き残ったのにゾンビそっちのけで殺し合いをする無間地獄に苦笑いするしか無いのだ。
これでは前作のように「世界を救おう!」といったモチベーションがなく、かといって「復讐しよう!」とモチベーションを高めても張本人のアビーは殺せない上に操作までさせられるのだ。
もう勝手に殺し合いをして全滅してほしいとすら思ってしまう。

アビーという新キャラクターを際立たせるために前作の主要なキャラクターはプレイヤーの受けた印象とは違う間抜けなキャラクターに貶められてしまった。
単独で敵地に潜入して殺しまくったりすると思いきや、急にひょんなことで死に至るのはコメディのようだ。
死体の山を積み上げて最後は見逃すのだからジョエルを始め全員無駄死にしたと解釈してもいいだろう。

エリーにとってジョエルの庇護からの脱却という成長物語としての側面は評価できる。
しかしエリーの成長のために何人死ぬのだ?
その結果が「エリーの成長」だけなら当事者としては迷惑極まりない。
ジョエルが枷になっているのであれば勝手に脱却すればいい。
少なくとも私のお気に入りのジェシーが犠牲になる必要はなかった。ぷんぷん。

ただし巷で話題になっているようなアビー編がダメというわけではなかった。
むしろ描き方としてはかなり面白かったというのが正直な印象だ。
オーウェンと関係を持ったりと少しの違和感はあったが、アビーを描くために作られたかのような本作はやはりアビー編にこそこのゲームの真髄がある。
繰り返されるファイアフライ病院のシーンはアビーの心に巣食う復讐と怒りの象徴として変化が誰にでもわかるように描かれている。
またセラファイトの二人組みもとてもいいキャラクターだった。
自分で倒しておいてなんだが、やっぱり犬のアリスに対して一番喪失感があった。

本作の個人的なイチオシキャラはトミー。
スナイパー戦でとてつもなくカッコよかったのに脚本にキャラを迷走させられた印象だ。
それとヤーラは誰よりも大人だった。
これは登場するすべてのキャラクターに言えることだが、エリーやアビーに最初からあれぐらい分別がついていればこんなくだらない争いは起きなかっただろう。
誰か一人ぐらいあいつらをぶん殴ってでも正気に戻せなかったのだろうか。

瞬間最大風速的にはトミー、全体を通してならヤーラという感想だ。
トミーは確かに終盤に平穏な暮らしをしているエリーに復讐を焚き付けた。
ただトミーも言っていたが最初に復讐を望んだのはエリーだ。
トミーが悪者のように描かれてしまっているのは脚本の問題であって、エリーにとっては自分が始めたことのけじめを付ける必要があった。
ただ惜しむらくはトミーは普通に会いに来て、体が悪いにもかかわらず実は自分で復讐を成し遂げようとしていることをエリーは気づき、そっと地図をバックパックから抜き出した――。
そんな脚本にしてくれれば無意味にトミーが悪者にならずに済んだだろう。
脚本家はどうしても前作の主要人物を全員マヌケかクズにしたいようだ。

この構造のまま『The Last of Us 3』が出たら今回生き残った連中を新キャラクターのダシにされるのがオチだろう。
そういう意味では早々に退場したジョエルは正解だったかもしれない。

とはいえ褒めるべきところは褒めるべきだろう。
本作のエンディングの展開には強く心を動かされた。
具体的にはアビーの姿にだが、ぜひプレイして確認してほしい。

前作を生贄にすることで召喚に成功した『The Last of Us Part 2』。
ジョエルとエリーの旅の続きが知りたかったプレイヤーにとっては注文と違うものが出てきた感覚だろう。
トレイラーなどでもまるでジョエルとエリーが続投するかのような作りになっているものが多く、ある意味で虚偽広告のようだ。

しかしこうして長々と良いところや悪いところを考えさせられてしまう私のような存在からもわかるように、本作はわかりやすい楽しさというよりは深く暗く悩ましいゲームである。
ストーリーも爽快感や快楽的なものを作るのではなく、プレイヤーの心に小さな傷跡を無数につけていくような印象的なゲームでもある。
つまり”今年一番楽しいゲームは?”と言われたら本作を挙げないが、”今年一番印象に残ったゲームは?”と聞かれたら間違いなく本作を挙げるだろう。
私のようにグチグチ文句を言いながらも本作を評価してしまう、そんな存在こそがこのゲームの狙いが成功している証だ。

最後になるがプレイヤーがアビーに対して抱く嫌悪感こそ、アビーがジョエルに対して抱いているものと同じだということも理解しておかなくてはならない。
アビーを嫌悪すればするほどゲームの演出としては成功しているということに他ならない。

本作は様々な問題を抱えているが、それでも数多のゲームの中に輝く宝石のひとつだ。
ストーリーに難はあってもそれを補って余りある魅力が本作にはある。
これほど問題点を挙げてはいるが、それでも名作であると断言したい。

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『アメリカ版彼岸島?『The Last of Us Part 2』感想・レビュー』へのコメント

  1. 名前:Radio:ALVAS Game Of The Year 2020 | RADIO:ALVAS|ラジオ:アルヴァス 投稿日:2022/05/27(金) 15:43:00 ID:9ac30b4b6 返信

    […] アメリカ版彼岸島?『The Last of Us Part 2』感想・レビュー 『でも・・・許し… […]