[雑記] ゲームを”寝かせる”という意味不明な行為とは?

そろそろいいかな……?まだいいかあ……。

ゲームを”寝かせた”ことがある人はいるだろうか?

やったことのない人にとっては一体何を言っているのだろうと思われるだろうが、一部の人にはピンとくるかもしれない。

特定のゲームを中断し、数ヶ月ないし数年プレイをせずに放置する行為だ。

”積みゲー”とは何が違うの?と思われるかもしれないが、あちらはそもそも購入して放置してしまう「積ん読」などと同じくプレイ自体を先送りにする行為だ。

”寝かせ”はゲームをプレイしたにも関わらず、エンディングや当初の目的を達成することなくプレイを「中断」しているという点で異なる。

注意してほしいのは”寝かせ”と”プレイ放棄”は過程は同じようだが「いずれプレイを再開する」つもりなのだ。

似て非なるプレイ放棄と寝かせ

プレイ放棄の場合はそもそも「ゲームが面白くない」「だるい」「システムが煩雑」といったマイナス、ネガティブな体験からゲームのプレイを放棄することだ。
自身だけではなくゲーム自体にも問題があるパターンが多く、プレイを継続することが苦痛となるような状況で、これ以上自らの時間を投資することを忌避する行動となる。

対して”寝かせ”は一見プレイ放棄と同じようだが、その内実はポジティブな評価・メンタルから発生している。

そもそもそのゲームを楽しんでいたはずなのに、なぜか途中でプレイを中断し気がつけば数年経っているというまるで浦島太郎のような経験だ。

もちろん”寝かせ”は意図的に発生するものではない。
「よし、このゲームは寝かせておこう」といった判断ではなく、なんとなくそのゲームと疎遠になりプレイしなくなってしまう。
「意図的ではない」と言ったが、よく考えてみるとどこかでプレイを中断することを選んでいるわけだから「未必の故意」と言ったほうがいいかもしれない。

ではなぜ寝かせてしまうのだろうか?

”寝かせ”が発生する理由(私の場合)

私が”寝かせ”を発生させるプロセスはすでに解明済みである。

概略すると以下のようなチャートをたどる。

①すごいたのしいゲームをプレイする

②あまりにたのしくてなるべく取りこぼしの無いように隅から隅まで遊ぶ

③金策・キャラ強化・マップ埋めなどのコンプ要素を最初から徹底しだす

④中途半端な完璧主義(偽)が祟り、メインそっちのけで効率プレイとかをしだす

⑤時間がなくなりプレイが難しいが、メインは進めたくないので放棄する

だいたいこのような流れとなる。

注目してほしいのは①と④だ。

①にあるように私自身のゲームへの評価が高ければ高いほど”寝かせ”の可能性が上がるのだ。
あまりにも楽しい(個人的なGOTYレベルのゲーム)と②~③の殺人的スケジュールの耐えきってエンディングまで行くのだが、自分の中で80~90点前後のゲームほど危ない。

次に④だが、私は自分を「偽りの完璧主義者」だと思っている。
完璧主義者の悪い部分だけを抽出し、生来のナマケモノとしての気質と組み合わせることで生まれる厄介な属性だ。

つまり「プレイ中のすべての会話パートを見たい」という完璧主義者の自分と「でもめんどくせえ」というナマケモノの自分との代理戦争の結果、”寝かせ”が発生するのだ。

その結果、美味しいごはんの添え物であるおかわり自由な漬け物だけを大量に食べてお腹いっぱいになってしまいメインディッシュが楽しめないという自縄自縛に陥る。

もう一つのパターン

また”寝かせ”が発生する仕組みにはもう一つのパターンが存在する。
それが有名な「ラスボス前セーブ」だ。

このパターンはたまに同じ症状を発症している人を見かけるが、ラスボスの前やエンディングの前で中断してしまう現象だ。
ゲームでいえば一番盛り上がる場面であるにも関わらず、なぜかその瞬間からプレイする意志が欠落してしまう。

おそらくこの現象は「旅を終わらせたくない」「ゲームを終わらせたくない」という感情に起因するものだろう。
ループもので同じ日常を繰り返す原因のキャラクターになる素質がある。

ゲームが終わってしまうとその後も創作の中での世界は続くのだろうが、やはり寂しい思いが去来してしまうのだ。

山本さほ先生の『無慈悲な8bit』で同じような理由でエンディング前にゲームを終えてしまうというお話があったが、まさにあの状況だ。(とても面白いのでぜひ読んでほしい)

最近の寝かせ事例

私の最近の寝かせ事例といえば『龍が如く0』だ。

自慢ではないが龍が如くシリーズは欠かさずプレイしてきた。(6は除く)
サブストーリーなどもほぼコンプしてきたはずだ。(6は除く)

そんな私がなぜ『龍が如く0』を放置プレイしてしまったかというと、正直シリーズ最高傑作だと思ったからだ。
あの錦が元気に生きているというだけで、桐生ちゃんと楽しそうにしているというだけで!
クリアしてあの『龍が如く1』の世界へと繋がることが嫌すぎたのだ。

しかも神室町マネーアイランドやポケサーバトルなどやるべきことも多く、気がつけば2017年から4年ほど放置してしまった。
セーブデータの2017年という表示を見て ヒェ…… ってなったよね。

……4年放置しても錦山は元気そうだったなあ。

寝かせた甲斐もあり、現在は最終章。
コンプ目指してたのしく遊べている。

とはいえこれがゲーム好きとして正しい行為かというとそんなことはないだろう。
途切れずに遊ぶことが開発者さんの意図しているところだろうし、4年も途中で放置することはゲームへの冒涜ともいえるだろう。

とはいえ同じことをしてしまう人には言っておきたいのだが、別に放置してもよいのだ。

ある意味ではプレイ放棄も寝かせも自らの人生のどこかで再プレイすればそれは”寝かせ”にできる。
つまり放棄することに比べれば幾分かマシなのだ。

だからぜひ恐れずに古い日付のセーブデータを紐解こう。
はじめは操作すら覚束ないだろうが、楽しめればいいのだ。

個人的なアドバイスとしては「完璧を目指すよりまず終わらせろ」だ。
これは自分への戒めでもある。

ただし”寝かせ”は”熟成”となる場合もある

ここまで「寝かせ行為」を悪し様に書いてきたわけだが、寝かせるという行為がプラスに働く場合がある。

筆者は好きなシリーズタイトルだけでなく期待作、PVのわくわく感などで軽率に発売日前に予約購入してしまうのだが、痛い目にあうこともしばしばある。

最近では『Cyberpunk 2077』はかなり痛めつけられたと言えるだろう。
バグや調整不足でゲーム本編よりもノイズのほうが大きくなってしまい純粋に楽しめなかったゲームだ。
フルプライスで購入しているのだからデベロッパーやパブリッシャーに対しては対価を払っているとはいえ、楽しめないのでは申し訳ない。

であればあとは自分が「いつプレイすれば楽しめそうか」という部分に着目すべきだろう。

例え話が多くて恐縮だが、熱々のおでんをたべるならやはり冬がいいだろう。
たとえ最高級の素材、最高級の出汁、最高級の器があろうとも真夏の正午にオフィス街の路上で食べたら美味しくは感じないのではないだろうか?

これはゲームにも言えることだ。
発売したての作品をすぐに遊びたい気持ちはもちろんあるが、敢えて粗熱が取れるまで待ってみるというのもいいかもしれない。
寝かせることで角がなくなり味に丸みが感じられるかもしれない。

1年熟成させた『Cyberpunk 2077』はまだ少し荒削りなところもあったが、十分に楽しめている。
おそらく1年前の発売直後に遊ぶよりも数倍たのしく遊べたのではないだろうか?(当社比)

今こそあなたの寝かせてるゲームを起動させるときです

さあ、恐れずに踏み出すのです。
あなたのライブラリで眠っているそのゲーム、PS PlusやEpic Gameで無料でもらったゲームを動かすのです。
彼らはあなたを待っています。

いますぐでなくていいのです。
心身ともに健康でなくてはゲームを心ゆくまで楽しめないかもしれません。
逆に、疲れ切った体や心に染み渡るようなゲームかもしれません。

ゲームの声を聞くのです!(もしくはレビューから推測しましょう)

そして最高のタイミングで、最高のゲーム体験を!

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